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孤高の作家・平田弘史
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少年画報社取締役編集部長・ヤングキング編集長 戸田利吉郎 |
我々が欲したところで、おそらく生きているうちには二度と観ることができない映画がある。三島由紀夫 の『憂国』がそれだ。この映画の中で、三島扮する青年将校の自決シーンがある。何年か後に、三島由紀夫
は実際に自裁し、この世に別れを告げる。「平田弘史の劇画が好きだ」と公言した三島が、完璧とはいえな いものの切腹して死んだことは今なお我々の中に鮮烈なイメージを残している。
平田弘史が漫画家としてデビューしたのは昭和33年の夏で、今からもう40年も前のことだ。貸本屋向け の漫画単行本が増加の兆しを見せ始めた頃で、その後の昭和35〜37年に全盛を迎える第一次劇画ブームの
中心作家として平田弘史の名は全国に轟き渡った。
コンビニに若者がたむろするように、当時の若者たちは街に必ず数軒あった貸本屋に足しげく通ったの だ。一冊10〜20円の貸本代を払い、むさぼるように漫画単行本を読みふけった。中でも高い人気を誇った
のが、さいとうたかを、白土三平、そして平田弘史の作品だった。
東映のチャンバラ時代劇が飽きられ、石原裕次郎を中心とした日活のアクション映画がブームとなってい たこの時代、アクションシーンの巧みだったさいとうたかをが人気を集めたのは、絵柄の洗練さによる。平
田弘史と時代劇の人気を二分した白土三平は、山田風太郎ばりの忍者ものを得意とした。作中で術の紹介を 解説入りで表わす斬新さと、伏線を生かした骨太のストーリーテリングが読む者の心をつかみ、傑作『忍者
武芸帖/影丸伝』全17巻へと結実する。
平田弘史ほど短期間のうちに上達し、自分の画風を確立した漫画家は他に見当たらない。デッサンをはじ め、書や日本画の特別の素養もない彼が何故、短期間のうちに巧くなったのかは知る由もないが、デビュー
後二年足らずのうちに貸本屋の人気を独占する勢いとなった。そして昭和35年4月に短編集『魔像』の別冊 として、初めての長編である平田弘史特集『四十万石の執念』が刊行された。
平田弘史の作品の魅力は何かと問われると、何より作中の登場人物たちのひたむきさが挙げられる。下級 武士や差別された主人公たちが、がんじがらめの状況から這い上がる姿を好んでリアルに描き、時として、
いさぎよさを美しく描いてみせた。創作の原点にあるものは、作中の主人公への作者の狂気とも思える思い 入れだ。
劇的局面に置かれた武士が苦吟する様は、まぎれもなく作者平田弘史が創作途上で苦吟する姿でもある。 牢人のほとばしる気合いが原稿用紙の上に描かれる時、作者の平田弘史も心の底から吠える。勢い余って厚
手の原稿用紙を引きちぎることも一度や二度ではない。作中の主人公と同化すべく苦悩する作者平田弘史の 姿は、我々が彼の作品の中で見つづけている武士そのものであった。
さいとうや白土はアシスタントを大勢かかえ、作品を量産し商売としての漫画家として成功して行く。だ が、平田弘史は描くものも描き手の心も武士のままで、名誉や栄達とは無縁である。そこが跡につづく漫画
家たちの心をとらえて離さないのであろう。孤高の作家、まさにそれが平田弘史なのだ。
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